第7回 目黒 誠子さん2017/12/01
CAからの転身
目黒さんは2002年に、国内大手航空会社のCAとしての生活に終止符を打ちました。
不規則なシフト生活にコントロールが難しく体調不良が重なり、
同時に「違う世界を見てみたい」という持前の好奇心もあり、その気持ちが退職を後押ししました。
次の仕事を探すにあたり描いた夢は「広報にかかわる業務をしたい」という漠然とした希望でした。
退職後はPCスクールに1か月通い、基本をマスターしました。
自分に何ができるのか模索する中で、接客とは離れ、まずはオフィスワークを経験したい、と思いました。
どんな職種があり何が自分に合うのか見当がつかない中、
「最先端の綺麗なオフィスで英語力のブラッシュアップを求めて外資系企業に行ってみたい!」
というイメージをしていたところ、イメージ通りの求人を見つけました。
「未経験者NG」にもひるまず熱意を持ってチャレンジした結果、外資系証券会社の本部長秘書アシスタントとしての仕事をつかみました。
オフィスでの仕事は初めて経験することばかりでしたので、とにかくありとあらゆることを吸収しよう、と無我夢中で働いたとのこと、
秘書の方にも恵まれ、ここでオフィスワークのイロハを教わったそうです。
規則正しい生活で体調もよくなり、働く環境も居心地もよかったのですが、実は派遣社員としての就業でしたので、
秘書アシスタントとしての仕事に物足りなさを感じ始めました。
派遣社員では責任ある仕事まで任せてもらえない、もっと自分で判断できるポジションで働きたい、という意欲がわいてきたのです。
1年の秘書アシスタント職の後、次は外資系弁護士事務所の受付兼アドミニストレーターとしての入社が決まりました。
前職から業種も変わりまずは派遣社員からのスタートでしたが、勘の良さからすぐに馴染むことができました。
「先を読む力」というのはCA時代から培ったもの。
ちょっとした配慮や人への気遣いなど当たり前に思っていた立ち居振る舞いが一目置かれる、という世界。
3か月もすると実力が認められ、正社員に登用されました。
宮城県出身の目黒さんは一人暮らしでしたので、まずは東京での生活の安定がつかめ、英語がブラッシュアップもできる職場で、
しばらくはこの場所で仕事を続けることに専念しようと思いました。
不規則なシフト生活にコントロールが難しく体調不良が重なり、
同時に「違う世界を見てみたい」という持前の好奇心もあり、その気持ちが退職を後押ししました。
次の仕事を探すにあたり描いた夢は「広報にかかわる業務をしたい」という漠然とした希望でした。
退職後はPCスクールに1か月通い、基本をマスターしました。
自分に何ができるのか模索する中で、接客とは離れ、まずはオフィスワークを経験したい、と思いました。
どんな職種があり何が自分に合うのか見当がつかない中、
「最先端の綺麗なオフィスで英語力のブラッシュアップを求めて外資系企業に行ってみたい!」
というイメージをしていたところ、イメージ通りの求人を見つけました。
「未経験者NG」にもひるまず熱意を持ってチャレンジした結果、外資系証券会社の本部長秘書アシスタントとしての仕事をつかみました。
オフィスでの仕事は初めて経験することばかりでしたので、とにかくありとあらゆることを吸収しよう、と無我夢中で働いたとのこと、
秘書の方にも恵まれ、ここでオフィスワークのイロハを教わったそうです。
規則正しい生活で体調もよくなり、働く環境も居心地もよかったのですが、実は派遣社員としての就業でしたので、
秘書アシスタントとしての仕事に物足りなさを感じ始めました。
派遣社員では責任ある仕事まで任せてもらえない、もっと自分で判断できるポジションで働きたい、という意欲がわいてきたのです。
1年の秘書アシスタント職の後、次は外資系弁護士事務所の受付兼アドミニストレーターとしての入社が決まりました。
前職から業種も変わりまずは派遣社員からのスタートでしたが、勘の良さからすぐに馴染むことができました。
「先を読む力」というのはCA時代から培ったもの。
ちょっとした配慮や人への気遣いなど当たり前に思っていた立ち居振る舞いが一目置かれる、という世界。
3か月もすると実力が認められ、正社員に登用されました。
宮城県出身の目黒さんは一人暮らしでしたので、まずは東京での生活の安定がつかめ、英語がブラッシュアップもできる職場で、
しばらくはこの場所で仕事を続けることに専念しようと思いました。
衝撃的な出会い
そんなある日、衝撃的なことが起こりました。
2006年に宇都宮での自転車レース「ジャパンカップ・サイクルロードレース」観戦したときでした。
ロードレースについて何の知識もない中、業務で赴いた先は、宇都宮森林公園。「こんな山の中で何が行われるのだろう?」。着いた先に広がっていたのは、まるでF1のような世界でした。カラフルなジャージに身を包んだ国際色豊かな選手たちが、驚くほどの速さで自転車をこぎ、山を駆け巡っていきます。自転車の音。風の音。観客の声援。選手の隊列のあとには、ルーフに自転車を積んだ車の隊列。山も自然も選手も風も、すべてがキラキラしているように見えました。選手も活き活き、観ている観客も活き活き、そして、山も自然も活き活きしているように見えました。」
(https://global-wifi.com/go-beyonder/067.html より抜粋)
すっかり自転車やロードレースのとりこになった目黒さん。
「田舎で何もない…ではなく、田舎だからこそできることがある」。
それまで田舎の出身であることを、なんとなくコンプレックスに思っていたそうですが、大きく覆された出来事となりました。
小さな頃からの生活スタイルがそのまんま、最も「豊かで贅沢な生活」なのではないかと、意識が変わっていったそうです。
その日を境に、まるで運命の扉がパーン、パーンと開くように、自転車業界のさまざまな人と出会うことになりました。
目黒さん自身が「自転車モデル」となり、全国の自転車イベントに参加しその様子をレポートする、時には企画の段階から携わるまでになりました。
自転車への情熱が目黒さんの中にある企画力・発信力を引き出したのです。
2006年に宇都宮での自転車レース「ジャパンカップ・サイクルロードレース」観戦したときでした。
ロードレースについて何の知識もない中、業務で赴いた先は、宇都宮森林公園。「こんな山の中で何が行われるのだろう?」。着いた先に広がっていたのは、まるでF1のような世界でした。カラフルなジャージに身を包んだ国際色豊かな選手たちが、驚くほどの速さで自転車をこぎ、山を駆け巡っていきます。自転車の音。風の音。観客の声援。選手の隊列のあとには、ルーフに自転車を積んだ車の隊列。山も自然も選手も風も、すべてがキラキラしているように見えました。選手も活き活き、観ている観客も活き活き、そして、山も自然も活き活きしているように見えました。」
(https://global-wifi.com/go-beyonder/067.html より抜粋)
すっかり自転車やロードレースのとりこになった目黒さん。
「田舎で何もない…ではなく、田舎だからこそできることがある」。
それまで田舎の出身であることを、なんとなくコンプレックスに思っていたそうですが、大きく覆された出来事となりました。
小さな頃からの生活スタイルがそのまんま、最も「豊かで贅沢な生活」なのではないかと、意識が変わっていったそうです。
その日を境に、まるで運命の扉がパーン、パーンと開くように、自転車業界のさまざまな人と出会うことになりました。
目黒さん自身が「自転車モデル」となり、全国の自転車イベントに参加しその様子をレポートする、時には企画の段階から携わるまでになりました。
自転車への情熱が目黒さんの中にある企画力・発信力を引き出したのです。
(c) Tour of Japan Official_ 2015
http://www.cyclowired.jp/lifenews/node/246831より
http://www.cyclowired.jp/lifenews/node/246831より
情熱からわきでる行動力
自転車雑誌に連載をし始め、日本最高峰のレース「ツアー・オブ・ジャパン」では、海外チーム招待担当をすることに。
連絡窓口として様々な手続きや連絡事項の翻訳・通訳をしてお手伝いをしました。
ここでは言われたことをそのまま伝えることなく、「きっとこう伝えればもっといいものが返ってくるかも」という発想がどんどん浮かんできたので、
情熱を込めて交渉も交えながらコミュニケーションをしていたそうです。
結果、当日の運営は想定以上のいい雰囲気の中、参加してくださった海外チームからたくさんの労いの言葉をいただき、充実した経験となりました。
まだまだ日本においてサイクルロードレースはマイナーなスポーツ。
ふと、海外でのレース事情を知りたいと思い、「ツール・ド・フランスの取材をしたい!」と自転車雑誌の編集長に、自腹でいくので参加させてくれ、と懇願。
編集長はこれまでも「ツールに連れて行って」というリクエストはたくさん受けていたそうですが、キツさや厳しさから、ほとんどお断りしていた中、
帯同をOKしてくれたのも、目黒さんの強い思いに押されての承諾だったそうです。
「ツール・ド・フランス」の帯同では、自分なりにミッションをもっていました。その体当たりレポートの様子はこちらに掲載されています。
正社員として就業していた事務所で10年がたち、自分の方向性を考える時期になりました。
自転車と関わる仕事をするという決意、その道筋も見えつつあったので、早期退職制度を利用しての退職を決意しました。
その後は海外での取材や窓口として必要な英語力を磨くため、
2016年1月からオーストラリア・アデレードへ3か月の語学留学をしてさらに自信をつけました。
連絡窓口として様々な手続きや連絡事項の翻訳・通訳をしてお手伝いをしました。
ここでは言われたことをそのまま伝えることなく、「きっとこう伝えればもっといいものが返ってくるかも」という発想がどんどん浮かんできたので、
情熱を込めて交渉も交えながらコミュニケーションをしていたそうです。
結果、当日の運営は想定以上のいい雰囲気の中、参加してくださった海外チームからたくさんの労いの言葉をいただき、充実した経験となりました。
まだまだ日本においてサイクルロードレースはマイナーなスポーツ。
ふと、海外でのレース事情を知りたいと思い、「ツール・ド・フランスの取材をしたい!」と自転車雑誌の編集長に、自腹でいくので参加させてくれ、と懇願。
編集長はこれまでも「ツールに連れて行って」というリクエストはたくさん受けていたそうですが、キツさや厳しさから、ほとんどお断りしていた中、
帯同をOKしてくれたのも、目黒さんの強い思いに押されての承諾だったそうです。
「ツール・ド・フランス」の帯同では、自分なりにミッションをもっていました。その体当たりレポートの様子はこちらに掲載されています。
正社員として就業していた事務所で10年がたち、自分の方向性を考える時期になりました。
自転車と関わる仕事をするという決意、その道筋も見えつつあったので、早期退職制度を利用しての退職を決意しました。
その後は海外での取材や窓口として必要な英語力を磨くため、
2016年1月からオーストラリア・アデレードへ3か月の語学留学をしてさらに自信をつけました。
(c) Seiko Meguro
https://global-wifi.com/go-beyonder/067.html より
https://global-wifi.com/go-beyonder/067.html より
もう一つの顔、そして、もう一つの思い
帰国後は故郷である宮城県丸森町に拠点を移し、ライター業を営みながら、もう一つの顔、“セラピスト”としても活動しています。
ライター業だけではやはり難しい現実。人の話を聞くことが好き、人の役に立ちたいという思いから、
以前から興味があった心のセラピストとしての勉強も続けていました。
今はメールセッションをしながらリクエストがあればスカイプセッション、また、「ミニハッピーレッスン」という形式でグループセッションを行い、
お客様の夢の後押しをしています。
そして、故郷に戻ってからも新しい風を吹かせる活動をしています。
丸森町には2012年から開催されている「サイクルフェスタ丸森」というライドイベントがあります。
これを2017年10月には「自転車と旅の日~MARUVELO a marumori」という規模の大きなイベントにし、
その主催者として大きな役割を果たされました。
どこを切り取っても美しく、スポーツでありながらアートでもあり、暮らす人々も街全体も自転車一色となるツール・ド・フランスとも大きくつながります。たくさんの人が楽しめるアート性と喜びあふれるイベントで、地域の皆さんと訪れる皆さんが楽しく過ごせる、魅力のつまった一日となることを願い、「自転車の日」に「旅とアートとミュージック」も加わり、「自転車と旅の日」のテーマが出来上がりました。
(http://www.cyclowired.jp/lifenews/node/246831より抜粋。イベント開催までの紆余曲折が上記サイトに記載されております!)
このイベントの立役者として地元のラジオ局へのゲスト出演やテレビ番組のコーナーで取り上げられるほどの話題性をうみました。
「初めてだったから注目されたのでしょう」。と謙虚な目黒さん。
「もっともっと自転車を知ってもらいたい。自然との共存も体感できます。なかなか資金繰りが大変ですが、これからも“自転車は楽しいよ”、と伝えていきます」
国内はもちろん海外との受信・発信の窓口となり、そして地元でのイベントも支援する。
これらの活動も、そして自転車そのものもすべては“人”が原動力です。
これから、セラピストとしての感性もリンクさせながら、“目黒誠子”を軸に色々な顔を見せてくれるのでしょう。
ライター業だけではやはり難しい現実。人の話を聞くことが好き、人の役に立ちたいという思いから、
以前から興味があった心のセラピストとしての勉強も続けていました。
今はメールセッションをしながらリクエストがあればスカイプセッション、また、「ミニハッピーレッスン」という形式でグループセッションを行い、
お客様の夢の後押しをしています。
そして、故郷に戻ってからも新しい風を吹かせる活動をしています。
丸森町には2012年から開催されている「サイクルフェスタ丸森」というライドイベントがあります。
これを2017年10月には「自転車と旅の日~MARUVELO a marumori」という規模の大きなイベントにし、
その主催者として大きな役割を果たされました。
どこを切り取っても美しく、スポーツでありながらアートでもあり、暮らす人々も街全体も自転車一色となるツール・ド・フランスとも大きくつながります。たくさんの人が楽しめるアート性と喜びあふれるイベントで、地域の皆さんと訪れる皆さんが楽しく過ごせる、魅力のつまった一日となることを願い、「自転車の日」に「旅とアートとミュージック」も加わり、「自転車と旅の日」のテーマが出来上がりました。
(http://www.cyclowired.jp/lifenews/node/246831より抜粋。イベント開催までの紆余曲折が上記サイトに記載されております!)
このイベントの立役者として地元のラジオ局へのゲスト出演やテレビ番組のコーナーで取り上げられるほどの話題性をうみました。
「初めてだったから注目されたのでしょう」。と謙虚な目黒さん。
「もっともっと自転車を知ってもらいたい。自然との共存も体感できます。なかなか資金繰りが大変ですが、これからも“自転車は楽しいよ”、と伝えていきます」
国内はもちろん海外との受信・発信の窓口となり、そして地元でのイベントも支援する。
これらの活動も、そして自転車そのものもすべては“人”が原動力です。
これから、セラピストとしての感性もリンクさせながら、“目黒誠子”を軸に色々な顔を見せてくれるのでしょう。
(c) Makoto Ayano
やりたいことが見つかる、ということは本当に恵まれています。
目黒さんも「何がしたい」「何ができる」のかわからないままの退職。
漠然とした中でも目の前のことを一生懸命頑張りぬき、何事にも楽しみながら関わってきました。
「やりたいこと」は行動し模索する中で見出されていくこともあります。
「やりたいこと」に対する答えが出ていなくても、それを仮置きしながら行動していく方が、やりたいことに近づいていくのかもしれません。
目黒さんにQuestion♪
転職して、CAだったから良かったこと,,,苦労したこと,,,
◆CAでよかったこと
ホスピタリティ精神・思いやり精神が自然に備わっていたこと、
度胸が備わっていること、物おじしないこと。
これは、あらゆる状況のもとでさまざまなお客様に臨機応変に対応してきたことが活かされているのかなと思います。
どんな仕事でも、「人」とのつながりが大切になるので、このようなことは財産だと思っています。
◆苦労したこと
オフィスワークという大抵の方ができることができなかったこと。
だからと言ってむやみに学ぶ必要もないかと思いますが、
できることで選択肢も広がっていくかと思います。
ホスピタリティ精神・思いやり精神が自然に備わっていたこと、
度胸が備わっていること、物おじしないこと。
これは、あらゆる状況のもとでさまざまなお客様に臨機応変に対応してきたことが活かされているのかなと思います。
どんな仕事でも、「人」とのつながりが大切になるので、このようなことは財産だと思っています。
◆苦労したこと
オフィスワークという大抵の方ができることができなかったこと。
だからと言ってむやみに学ぶ必要もないかと思いますが、
できることで選択肢も広がっていくかと思います。
エアラインを辞めて転職を考えている方へのアドバイス
どの職種にも言えることですが、
辞める前に、どうして辞めたいのかを心に従ってじっくり考えてみるとよいかなぁと思います。
逃げからの転職は、どこに行っても同じことを繰り返してしまうかもしれません。
「できること、ではなくて、やりたいこと!」。
やりたい、と思ったらなんでもできます、ほんとうに!
これをモットーに「今」に感謝し楽しんでいくと、助けてくれる人も現れて、自然と道が開けていきます。
応援しています!
辞める前に、どうして辞めたいのかを心に従ってじっくり考えてみるとよいかなぁと思います。
逃げからの転職は、どこに行っても同じことを繰り返してしまうかもしれません。
「できること、ではなくて、やりたいこと!」。
やりたい、と思ったらなんでもできます、ほんとうに!
これをモットーに「今」に感謝し楽しんでいくと、助けてくれる人も現れて、自然と道が開けていきます。
応援しています!