Cure Aile ホーム > たまてばCOlumn > 今月の聞かせて!お姉様 > 今月の聞かせて!お姉様 No.019

第19回 大野 南奈子さん2020/05/06

国内系大手航空会社で15年乗務された大野さん。地上に降り、3年間の学生生活を経て現在ではナースとしての新たなキャリアを歩んでいらっしゃいます。なぜナースを目指したのか、CAとナースの共通点や違い、転職する際に気をつけたことなど伺いました。



一年くらい働いてお金貯めたら旅行にでも行こうと思っていたはずが

大学時代国際文化を学び、アメリカ留学も経験した大野さん。海外が好きで、人と話すことも好きだったため、海外と日本の人と人をつなぐ仕事がしたいと思い選んだのがCAという職業。

「1年くらい働いてお金を貯めたら、辞めて旅行にでも行きたいと思っていたのですが、新人研修合宿で、緊急脱出、救命救急といったCAの仕事の保安要員としての側面を知り、ただ空の上で接客するだけじゃないんだと、仕事に面白みや責任感を感じ始めました。」

気がつけば新人指導もするようになり、自分で仕事を回せるようになっていて、やり甲斐も感じていたそうです。

自分の中で仕事が占める割合が大きかった……

会社が傾いた際、プロフェッショナルでかっこいいと尊敬していた先輩方が年齢だけで切り捨てられる光景を目の当たりにした大野さん。そのまま会社に身を置くことに疑問を抱き始めます。

「結婚もしていないので、自分の中で仕事が占める割合が大きくて、このままでいいのかと別のキャリアを模索し始めました。」

最初に興味を持ったのは日本語教師。専門学校まで話を聞きに行きましたが、収入面での不安が残り踏み出せませんでした。次に目を付けたのが看護師。旅先での素敵な看護師さんとの出逢いも影響し、ぼんやりと憧れを抱いていました。

転機は手話ボランティアとして同行した自転車レースにて

会社で手話インストラクターもしていた大野さんは、カナダで行われた聴覚障害者が集まる自転車レースの世界大会に手話ボランティアとして同行します。日本代表団は選手4名と大野さん、トレーナースタッフなどの小規模チーム。

レース中選手の一人が転倒し負傷。すぐに他のチームのドクター達が助けてくれ、手際よく病院へ搬送することができました。手話通訳としてその場に立ち会いドクター達と負傷した選手をつないでいた大野さん。

「その時の救急対応をするドクター達の姿が脳裏から離れず、私はやはり医療の現場に興味があることを再認識しました。帰国してすぐ看護学校の説明会に行き、秋に受験、次の春から看護学校に通い始めました。」

3年の看護学校生活を終え急性期の総合病院へ就職

「看護学校を卒業して就職した病院では救急病棟を希望しましたが、配属先はオペ室(手術室)でした。担当医の癖や術式を把握して、手術中も常に先読みする必要があり、オペナースは職人気質なところがあります。もしかすると、客室乗務員出身というのが配属に影響していたかもしれません。」

希望の部署ではなかったものの、仕事は何にせよやってみないとわからないから、とりあえず3年間やってみようと決意して、目の前のことに集中したそうです。

「やってみたら手術室もとてもやり甲斐があり、特に私は帝王切開の手術が大好きでした。自分が子供を産んでいないから、こんな形で新しい命の誕生に少しでも貢献できることが嬉しかったです。」

やり甲斐を感じつつも、手術中は患者様がほとんど麻酔で意識のない状態。より患者様とのコミュニケーションを求めた大野さんは、3年目にして外科病棟に異動しました。
しかし、人員不足で再び手術室勤務となったため、より患者様と関われる環境を求めて、その病院を退職しました。

新人時代は特技の水泳で自己肯定感を維持!?

中学生の頃は全国大会を目指すほど水泳に打ち込んでいた大野さん。看護学校在学中に海で泳ぐようになり、今ではトライアスロン大会や、オープンウォータースイム大会、競泳のマスターズ大会に出場しているそうです。

「自分が認めてもらえる場を求めていたのだと思います。看護師になりたての頃、できない自分に落ち込むことがよくありました。人命が掛かっているので、罵声を浴びせられるような叱り方をされることもあります。新人とはいえ40歳というすでに分別の付く年齢になっていたので、叱る側の気持ちも分かり『あの人うるさいな』では片づけられません。できないダメな自分と仕事で下がった自己肯定感を、水泳大会でメダルを取って取り戻す、みたいなことをしてバランスを取っていました。」

次なる職場はケアミックス病院

長いこと張り詰めて生活をしていた反動か、総合病院の仕事を辞めてしばらくはエンジンが掛からなかったという大野さんですが、ゆっくりした後は旅行をしたり、トライアスロンや水泳の大会に出たり、家でのんびり過ごしたりしていたそうです。


「まだまだのんびりしていることもできたのですが、新型コロナで医療現場が逼迫している中、じっとしていられなくなって就職活動を始めました。看護師は売り手市場なので、エージェントに登録して2週間ちょっとで新しい職場が決まりました。」

人とのコミュニケーションという面で元々在宅医療にも興味があった大野さんが次に選んだ職場は、ケアミックス病院。5月からは主に、手術や急変などの急性期の治療を終えた患者様が自宅などに戻るまでを過ごす地域包括ケア病棟で、患者様を在宅などの療養環境へつなぐ役割を担うそうです。

「看護師は、自分のライフスタイルに合わせて、働き方も働く場所も選べるというところに魅力を感じています。」とおっしゃる大野さん、これからのご活躍も楽しみです。
(取材:橋本恭子/文:吉良悠子)

大野さんにQuestion♪
転職して、CAだったから良かったこと,,,苦労したこと,,,
◆CAでよかったこと
看護師は、患者様やそのご家族様に信頼してもらうことが大切なのですが、その点ではCAで培った接遇スキルがとても役に立っていると思います。また、土地柄外国人の患者様も多かったため、語学力も役に立ちました。「まさかナースがこんなに英語を喋れるとは思ってなかった。今度絶対フィリピンに遊びに来てね!」なんて患者様の退院時に言われたこともあります。

◆苦労したこと
CAの癖で、ついつい患者様になんでもやってあげたくなってしまうのですが、医療の現場ではそれが必ずしもいいとは限りません。例えば、布団を掛けなおすだとか、洋服を脱ぎ着するという場面で手を貸すことは、患者さんが自立する機会を奪ってしまうということにもなるのです。つい癖でやってしまいそうになることをぐっと堪えるのは本当に苦労しました。

エアラインを辞めて転職を考えている方へのアドバイス
他にやりたいことを見つけた時に、先ばかり見て焦って慌てて動く必要はないと思います。今やっていることを大切に過ごしながらアンテナを張っていると、人との出会いだったり、何かのチャンスが目の前に訪れたり、必ず「今だ!」というタイミングがやって来ます。その波を見逃さずに乗れば、案外トントンと物事が進むと思います。




大野さんのOPE室で働いていた頃のある一日
6:00 起床
7:00 家を出る
8:00 病院到着
8:30 業務開始
9:00  1日1~2件、手術に入る
    (手術がないときは、次の手術の準備、
         手術予定患者の術前訪問)
     手術時間は、手術次第で 2時間半~8時間
17:00 記録、翌日の準備
18:00 病院を出る
19:00 帰宅
19:30 夕飯
20:00 勉強
22:00 入浴、就寝
大野さんのMy Rule
自分が自分らしくいられるように、心の声に耳を傾けるようにしています。
「疲れてないかな?」「無理しすぎてないかな?」と自分に問いかけます。
ヨガをする、日記に書き出す、人と話す、海の中でただひたすら泳ぐなど方法は様々です。


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