第22回 上田 幸枝さん2020/09/11
短大を卒業して子供の頃からの夢だったCAになった上田幸枝さん。国内大手エアラインにて約5年間CAとして空を飛び退職。日本から飛び出して海外でメイクアップアーティストとしてのセカンドキャリアを築き上げました。5年目といえば、仕事も遊びも覚えてこれからCAを満喫という時期。上田さんはどんな思いでCAという職を手放し、セカンドキャリアを歩み始めたのでしょうか。
CAを辞める時に未練はなかった
お母様の影響でファッション全般に興味を抱いていた上田さん。初めからハイファッションに携わりたいという想いがあったため、日本で勉強するという選択肢は全くなかったそうです。とにかく次への夢で胸がいっぱいでCAという職業を手放すことへの未練も一切なく渡米。LAのメイクスクールに半年間通いメイクの勉強をします。
「メイクスクール時代は9時から17時まではみっちり学習。並行してインターネットで知り合った駆け出しのカメラマンやモデルと組んで、作品作りをしていました。センスのいいフランス人の先生と巡り会えて、アシスタントの仕事もさせてもらっていました。」
「メイクスクール時代は9時から17時まではみっちり学習。並行してインターネットで知り合った駆け出しのカメラマンやモデルと組んで、作品作りをしていました。センスのいいフランス人の先生と巡り会えて、アシスタントの仕事もさせてもらっていました。」
メイクスクールでの勉強を終え台湾へ
当時アメリカ系台湾人の方とお付き合いしていたこともあり、メイクスクールでの勉強を終えた上田さんは台湾へ向かいます。中国語を勉強しながらメイクアップアーティストのアシスタントをする生活から始まりました。
「中国語の語学学校の授業は1日2時間で1年半通いました。発音と基本的な文法を学校で学んで、後は生活する中で覚えていきました。知人の紹介で、日本語が話せるメイクの先生のアシスタントに付くことができました。日本のシュウウエムラで修行していた方で、台湾で有名な歌手のメイク担当などされていました。」
語学学習とアシスタントとして仕事をする中でも、時間を見つけては自身の作品作りを進めていた上田さん。ギャラなしでモデルエージェンシーのモデルカード作りをするなど表現できる場を見つけては実績を残していったそうです。
「中国語の語学学校の授業は1日2時間で1年半通いました。発音と基本的な文法を学校で学んで、後は生活する中で覚えていきました。知人の紹介で、日本語が話せるメイクの先生のアシスタントに付くことができました。日本のシュウウエムラで修行していた方で、台湾で有名な歌手のメイク担当などされていました。」
語学学習とアシスタントとして仕事をする中でも、時間を見つけては自身の作品作りを進めていた上田さん。ギャラなしでモデルエージェンシーのモデルカード作りをするなど表現できる場を見つけては実績を残していったそうです。
ご縁で繋がったチャンスを確実にモノにする
美容系の会社に勤める語学学校のクラスメートの紹介で、日本の雑誌の台湾版の編集をしている女性を紹介してもらった上田さんは、そこでいただいた仕事も丁寧にこなし実績を作ります。するとまた別の仕事ももらえるようになり、徐々に芸能関係の仕事も入るようになったそうです。
「目の前のことを一つずつコツコツとこなしていきました。もちろん、全てがとんとん拍子ということはなく、何もないのに涙が出るようなどん底の時期もありました。ただそれがあったからこそ頑張ろうという気持ちにもなりました。とにかく生活するためには働く以外ありません。何でも屋と呼ばれるくらい、いろんなことをやりました。」
「目の前のことを一つずつコツコツとこなしていきました。もちろん、全てがとんとん拍子ということはなく、何もないのに涙が出るようなどん底の時期もありました。ただそれがあったからこそ頑張ろうという気持ちにもなりました。とにかく生活するためには働く以外ありません。何でも屋と呼ばれるくらい、いろんなことをやりました。」
軌道に乗り中国や台湾の有名人のメイクも担当
実績を積みフリーランスのメイクアップアーティストとして仕事が安定してきた上田さん。中国や台湾で有名な方のメイクも担当するようになると、ロケ班に加わり中国、シンガポール、マレーシアなど月の半分は自宅にいなかったり、3週間休みなしで働いたりすることもあったそうです。
「スタイルが合う方とは長く続きました。いろんな有名な方にお会いする機会に恵まれましたが、中でも印象的だったのがジャッキー・チェンさんにお会いしたことです。シミを隠してと頼まれメイクしました。その時お貸しした扇子を返してもらえず、そのまま持って行かれてしまったというエピソードもあります(笑)」
その後、念願のファッションの仕事を叶えるべくパリコレにも挑戦。パリに行って1ヶ月ほど仕事をさせてもらう経験もしたそうです。
「スタイルが合う方とは長く続きました。いろんな有名な方にお会いする機会に恵まれましたが、中でも印象的だったのがジャッキー・チェンさんにお会いしたことです。シミを隠してと頼まれメイクしました。その時お貸しした扇子を返してもらえず、そのまま持って行かれてしまったというエピソードもあります(笑)」
その後、念願のファッションの仕事を叶えるべくパリコレにも挑戦。パリに行って1ヶ月ほど仕事をさせてもらう経験もしたそうです。
日本に帰国した今はこれからを模索中
日本人の旦那様とご結婚し日本と台湾で別々に暮らしていましたが、同居することになり帰国。今はゆったり過ごしながら、今後のことを模索している時期だそうです。長年仕事第一で生きてきた上田さんにとって、今はこれまでとは別の幸せな時間。精神的に落ち着いてリラックスしながら、積み上げてきた経験からできそうなこと、現在自分の興味が向いていることなど自分とじっくり向き合って、これからを模索しているそうです。
「日本に帰ってきて丸くなったとよく言われる」とおっしゃっていましたが、確かに7年前に台湾でお会いした時に感じたどこか日本人離れしていてとても逞しい印象は薄れ、今回のオンラインインタビューで画面越しに久々に再会した彼女は、とても柔らかい雰囲気。とは言え、これからについて語る彼女からは、やはり芯を流れる熱いものが見え隠れしていて、今後のご活躍が益々楽しみになりました。
(取材:橋本恭子/文:吉良悠子)
「日本に帰ってきて丸くなったとよく言われる」とおっしゃっていましたが、確かに7年前に台湾でお会いした時に感じたどこか日本人離れしていてとても逞しい印象は薄れ、今回のオンラインインタビューで画面越しに久々に再会した彼女は、とても柔らかい雰囲気。とは言え、これからについて語る彼女からは、やはり芯を流れる熱いものが見え隠れしていて、今後のご活躍が益々楽しみになりました。
(取材:橋本恭子/文:吉良悠子)
上田さんにQuestion♪
転職して、CAだったから良かったこと,,,苦労したこと,,,
◆CAでよかったこと
一つは、自然と周りに目が行き、あの人何が足りなそう、あの人これを欲していそうと気遣いができること。おかげでクライアントさんとの信頼関係が築きやすかったです。それから、今日はこれとこれとこれがあるからこうしようと、段取りの組み立てが瞬時にできることも仕事をする上でとても役立ちました。そして、不規則な勤務スタイルでも身体がついてくるのはCAで鍛えられたからですね。
◆苦労したこと
CAだったから苦労したことというのは全くありません。
一つは、自然と周りに目が行き、あの人何が足りなそう、あの人これを欲していそうと気遣いができること。おかげでクライアントさんとの信頼関係が築きやすかったです。それから、今日はこれとこれとこれがあるからこうしようと、段取りの組み立てが瞬時にできることも仕事をする上でとても役立ちました。そして、不規則な勤務スタイルでも身体がついてくるのはCAで鍛えられたからですね。
◆苦労したこと
CAだったから苦労したことというのは全くありません。
エアラインを辞めて転職を考えている方へのアドバイス
「好き」「これは絶対にやりたい」ということを見つけたら、是非チャレンジしてほしいです。大変なこともありますが、絶対にそれを超えるいいことがあります。
上田さんのMy Rule
・Simple is the best.
・いいものは取り入れて悪いものは遠ざける。
悪いものを近づけるとなんだかんだストレスになるため、仕事の方法、人間関係、食べ物と何においても、ストレスになるものは敢えて遠ざけるようにしています。
・いいものは取り入れて悪いものは遠ざける。
悪いものを近づけるとなんだかんだストレスになるため、仕事の方法、人間関係、食べ物と何においても、ストレスになるものは敢えて遠ざけるようにしています。