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第41回 松田登志子さん2024/03/01

20年間の航空会社での在籍、フライト生活を終え、現在はヨガや呼吸瞑想、マインドフルネスを通じて女性の心と体をサポートしている松田登志子さん。
CA受験時から常に“熱く”前向きにチャレンジしてきた登志子さんですが、完璧を追い求める自分に苦しさを感じてしまったこともあるそう。CAとしての素晴らしい経験、そして誰もが少し見過ごしがちなちょっとした心の苦しさ、両方を感じた登志子さんが、新たなキャリアを見出した経緯やこれからについて、どのような想いがあるのでしょうか。

きっかけはお兄さん!東北の小さな街出身の女の子がCAを目指した理由

私は、山形県米沢市の出身です。(米沢市は、米沢藩の藩主上杉鷹山公が有名で、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」が各学校に掲げられています)子どもの頃、地元の米沢新聞とJALが小学生と中学生を対象に、飛行機に乗って自分の街を1周するという航空教室を開催していました。たまたま中学生だった兄が参加したところ、とても興奮して帰宅し「CAの仕事ってすごい!海外に行って、世界が広がって……!女性が働く職業としてすごく素敵だよ」と目を輝かせて話してくれたのが、CAに興味を持ったきっかけです。とはいえ、当時はまだまだ自分にとってCAは遠い世界の話でした。

その後、迎えた大学受験。志望校全部に落ちてしまいました。自分に不信感を抱き、自信も全て喪失!ただ、「努力不足や足りなかった部分がきっとあるはず。一度真剣に向き合ってみよう、自分を信じられるようになりたい!」と決めたのです。そこで思い出したのが、兄が「CAの仕事ってすごい!」と話していたこと。本気でCA受験に取り組んで、自分の自信に繋げたいと思い、CAを目指すことにしました。

一校だけ地元の短大の英語英文科に合格していて、当時はその短大に進むことは不本意でしたが、自分を奮い立たせて入学を決めました。

短大での先生との出会い、CAに合格するまで

その短大での先生との出会いがとても素晴らしかったのです。入学する際、本当はこの短大への入学は不本意で、失意のどん底にあることを正直に話したところ、そのままを優しく受け止めてくださいました。CAにチャレンジすることへのサポートをお願いしたところ、どの先生方も快く協力することを受け入れてくださいました。

英語ネイティブの先生も数名いらして、毎日のように面接の練習をしてくださったり、心理学、社会学の先生方も聞けば必ず教えてくれて……先生たちがCA受験をサポートしてくださいました。本当に感謝しています。

その頃、CAを受験するには専門学校に行くのが当たり前のダブルスクールの時代でしたが、地方だったので通学が叶いませんでした。過去にCAを輩出している短大ではなく、後にも先にも入社したのは私1人だけ。
一度だけ東京の専門学校の夏期講習に行ったところ、レベルの高さにびっくり!あまりの違いにショックを受けて帰ったことを覚えています。ただ、「自分を最後まで信じてみよう」と、より気合いが入り、短大の先生たちと一緒にCA受験を目指しました。
短大2年生の7月に、試験がありました。書類を含めると5次試験まで!そこで無事合格となり、CAになることができました。いまだに夏に羽田空港に行くと、面接のときを思い出して胸がきゅんとします。

私がCAになれた理由

私が入社したのは90年です。大型採用の年だったこともあり、タイミングも良かったのかもしれません。ちなみに、私がCAになるきっかけとなった兄も航空会社に入社しました。小さいときの感動が人生において大きな原動力になることを実感しました。

私がCAになれたことを家族はとても喜んでくれました。最初は「CAになれるわけない!」って言われていましたが、「面接の相手は人間だし、人を動かすだけの気持ちを伝えられればいけるかも!」という、なんの根拠もない自信がありました。当時は、D・カーネギーの「人を動かす」という本が心の支えでした。「人を動かすには自分が変わらなきゃだめなんだ、どれだけCAへの情熱があるのか、まずは両親に納得させられるくらいにならなくてはいけない!」と思っていました。毎日2kmくらい走って体力作りをしたり英語面接の練習をしたり……。不安もありましたが、自分らしく最後までやってみようと臨めた試験でした。

「落ちたらどうしよう……」ということを考えられないくらい集中してみたいという気持ちだったので、エアライン以外は受験していません。練習を兼ねてヴァージン・アトランティック航空の経験者採用は受験してみましたが、全然場違いでした!ANAを受ける気持ちは起きず、気持ちを定めてJAL一択でした!

CAになってからも驚きの連続!

7月入社だったので、それまでに事前学習の英語の資料が届きました。いまだに覚えているのが、Philadelphia(フィラデルフィア)の発音が聴き取れなかったこと!また、実際に入社してみたら、同期の卒業大学の華やかさに圧倒され、周りとの比較に悩んでしまい、「私ここではやっていけないかも……」と自己肯定感が下がったりもしました。楽しみ半分、怖さ半分という感じです。でも「CAになりたい!」という気持ちだけで自分を奮い立たせていました。

地上研修では成田空港の到着ロビーに配属されました。その後、1月から乗務訓練がスタート!大変な訓練期間でした。地上研修6ヶ月の後、座学が2ヶ月間です。茶道やメイク、アナウンサーの方からの直接指導もありました。地上研修では、会社の仕組みや、地上で働くスタッフの方々との繋がりを学ばせていただきました。7月に入社して、実際にフライトするまで、膨大な知識を詰め込む時間は経験したことのない長さだったと思います。

充実していたフライト生活

入社をきっかけに初めて親元を離れたということもあり、とても楽しかったです。新しい景色、海外生活など見るもの全てが楽しくて、両親にもこんな景色を見せてあげたいと思いました。

当時は入社時期によってインターチェックアウト、ドメスチェックアウトが混在していましたが、私がチェックアウトしてからのファーストフライトはロサンゼルス。両親が見送ってくれました。初めての海外渡航でもあったので、それだけで感動はひとしおでした。

ミールカウントやお客様対応なども、「実際にこうやってやるんだ」という感動や驚きの連続で、新鮮な毎日でした。
兄が乗って、私にCAの世界を教えてくれた航空教室。12年後、CAとして乗務しました。
アンカレッジにクタクタに到着。ホテルのクリスマスの飾り付けに一気に元気に!
ワインを学んでから、フライト先で時間があるときにはワイナリーを訪れました。
ニューヨークにて。この翌年、WTCが無くなるとは想像できなかった。
帯同セールスの機会をいただき、北京の街を訪れました。天安門広場にて。
クラスJ先任乗務。フライトの間に提供しているお菓子で後輩達と一息。
91年入社募集要項の表紙モデルに!同期と一緒に撮影した楽しい思い出です。
さまざまな経験をしましたが、そのなかでも思い出に残っているフライトは、サンパウロ便のロングパターンです。日本から移住された日系人の方と触れ合う機会があり、とてもきれいな日本語を話されて純粋な古き良き日本人のマインドに美しい日本がそのまま凍結されていたかのような、とてもピュアなものに触れた、尊い感覚になったことを覚えています。

また、パーサー時代に、当時の大蔵大臣のケルンサミット特別便のファーストクラスに乗務させていただきました。VIP対応として厳選された素晴らしい先輩方に囲まれ、サービスのプロの最高のパフォーマンスが、まるでシンフォニーのように響き合った時間が思い出深いフライトです。

サービスの世界は奥深く、芸術の域に達している仕事だと感じた時間でした。JALのサービスは世界レベルでも最高峰であり、それに携われたことを今でも幸せに感じます。

子育てに専念するために退社を選択

子育てを機にフライト生活を終えました。1998年に結婚。「子どもはまだいいよね」と思い、お互い仕事に集中し思いっきり楽しんでいたら、気づけば30代後半になっていました。38歳で第一子を出産し、復帰しようと思ったら2人目を妊娠。その頃、会社の破綻があり、早期退職募集があったので、そちらに応募して2010年に退社しました。

約20年間、体調を崩すこともなくフライトを満喫できたことは健康であったことに尽きると思います。

退職については、心残りもすごくありました。キャリアを積むことの楽しさを感じ、仕事もとても充実していました。SU(先任客室乗務員)となり、会社の面白さや仕事の楽しさが見えてきたのに、「本当にやめていいのか?」と、とても悩みました。夫からも「早期退職の流れにのっていいのか?自分で後悔しないようにしっかり考えて決めてほしい。」と言われたことを覚えています。後輩を育成し、成長していく姿を見るのも楽しかったですね。

しかし、CAの代わりはいるけど、母親の代わりはいない。今私が守れるものは子どもたちであり、一緒にいてあげられる時間を大切にしたい、と思い退職を決意しました。退職後は就職のオファーもありましたが、100%子どもに向き合おうと思ったので全てお断りし、しばらくは子育てに専念していました。

女性の心と体をサポートしたい!新たなキャリアに向かって

妊娠中から子育て期間中、最初はすごく戸惑いました。ワンオペだし、自分ではない誰かの健康のことを常に考えるようになって……。悩みを相談する先もなく、孤独を感じていましたね。毎日がニューヨーク便を飛んでいるような忙しさでもありました。

月の3分の2はフライトで家を明け、ほぼ業務連絡のような会話しか無く、すれ違っていた夫婦。突然家に入り、夫と何を話せばいいんだっけ?っと自分がどうしたらいいかわからないくらい戸惑いました。

また、子どもが成長してからも受験が続いたり、女性として年齢を重ねる身体の変化への苦しさなどもありました。

長い会社員としての経験を通して時に感じる体力的、精神的な苦しさ、ライフステージが代わって出産し、子育て中に感じたワンオペでの孤立感や閉塞感を抱えている人たちの気持ちに寄り添いたいという思いから、ヨガや呼吸瞑想マインドフルネスを通じて女性として抱えてしまう問題をより良く生きる、ウェルビーイングの為のサポートをしていきたいと強く感じ出しました。
2022年、コロナ禍でのヨガで市の主催行事に初参加。マスクは必須でした。
ヨガはフライトしているころから続けていて、RYT200全米ヨガアライアンス(200時間ヨガを学んだという証明となる、インストラクターの資格)を2020年に取得。きっかけはハワイ旅行中にやってみたビーチヨガの先生との出会いです。ヨガの哲学的な思想、考え方に共感でき、深く勉強してみたいと思いました。そこから瞑想、呼吸法へと繋がっていきました。

「マインドフルネスによるストレス低減法」をおもしろいと思ったことが、瞑想、呼吸法、マインドフルネスの活動をするきっかけとなりました。ヨガの真髄である「心の動きを止める」を理解できたのも大きかったです。今はオンラインで呼吸法のクラスを受け持っています。
今後は徐々に活動範囲を広げていきたいと思っています。
2023年オンラインクラスがスタートした際の記念すべき第一回。
呼吸法のクラスは1クラス30分。気軽にご参加いただけます。子育て中の方や男性にもご参加いただいています。ソムリエの資格を持っているので、“マインドフルにワインを飲む”などというクラスも開講しています!参加していただいた方に、「リラックスした」と言っていただけるだけでとても嬉しいですね。将来的には、お花屋さんとコラボレーションしたいと思っています。お花屋さんは中にいるだけで素敵な香りで癒されるので、その場所で呼吸法ができたら最高ではないでしょうか。

<呼吸法のクラスURL>
https://www.instagram.com/toshiko_relation


松田登志子さんにQuestion♪
転職して、CAだったから良かったこと,,,苦労したこと,,,
◆CAでよかったこと
先任時代、短い国内線では、離陸前の短い時間内にお客様のお名前とお顔を覚え、お席までご挨拶に行くことが必須だった為、今でもお名前とお顔などをすぐ覚えられるという特技があります。また、大勢の方の中にいるときには、つい、皆さんの様子が気になるという、乗務員にありがちな苦労?もいまだにあります。

◆苦労したこと
仕事柄、完璧であること、マニュアル通りであることが求められてきました。正確さが求められるという良い面もありながら、常に完璧でいなくてはいけないと自分を苦しめていた面もあったかと思います。
エアラインを辞めて転職を考えている方へのアドバイス
自分自身が無理しない、自分を責めたりしないで心地よくいられる道は何かな?と常にアンテナを張っておいてほしいと思います。自分の心に向き合って、自分をもっとゆるめることで、本当にやりたいことが見えてくるように思います。頑張ってきた人たち(以前の私も)は、固くなっていることに気づくことが最初の一歩です。
松田さんのとある一日
  6:00 起床 窓を開けて換気、朝の空気を身体にも取り込む トイレ、洗面所の掃除 お洗濯 朝食の支度
  7:20 家族を駅まで送迎 三人とも出発時間が異なるので、三往復する日もあります
  9:30 家事ひと段落 メールやSNSのチェック
10:00 ネイル、美容室、筋トレ、ヨガレッスン(受講)など
13:00 夜のクラスの組み立て、今後への取り組み時間
16:00 夕飯の支度、お風呂掃除、支度
19:00  夕飯、家族との時間
21:00 オンラインレッスンの準備
21:30 オンラインレッスン
22:30 お風呂
24:00 就寝
松田さんのMy Rule・大事にしていること
今までは自分を焦らせたり、「なぜこんなこともできないの?できるはず!頑張れ」と必要以上に自分に無理をさせたり、責める癖が強かったのですが、今は自分にとことん優しく寄り添って自分を大切にすること、そしてその優しさを家族、友人、地域の方々、私と繋がってくださる方々へと向けていくことを大事にしています。

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