第4回 From 大連 vol.12019/05/19
皆様、はじめまして。Chantalと申します。大学卒業後に勤めた日系エアラインから外資系エアラインに転職し、退職後の2010年から夫の中国駐在に帯同している、いわゆる駐在妻です。始めの4年半を北京で過ごし、現在は大連在住です。ほぼ初めての海外生活となった中国。時には反日運動等で大波を受けることもありましたが、その度に、友人や家族に助けられ乗り切っています。
現在の居住地である大連ですが、耳馴染みのある方もいらっしゃるのではないでしょうか?戦前は多くの日本人が住んでおり、満州に渡る際の玄関口であった大連には、今でも戦前から使われている建物や路面電車があり、当時の面影が色濃く残っています。日本の仙台市や米国のサンフランシスコと同緯度で、中国東北部では比較的温暖であると言われていますが、真冬には-10℃以下になり、外出の際にはニット帽と手袋が欠かせません。4月中旬頃まではコートが必要な生活が続きます。それに反して、夏は30℃を超える日もあり、海が近いことから多くの観光客が訪れます。屋外にテーブルを出して食事ができる食堂も増え、皆が短い夏を楽しんでいます。
現在の居住地である大連ですが、耳馴染みのある方もいらっしゃるのではないでしょうか?戦前は多くの日本人が住んでおり、満州に渡る際の玄関口であった大連には、今でも戦前から使われている建物や路面電車があり、当時の面影が色濃く残っています。日本の仙台市や米国のサンフランシスコと同緯度で、中国東北部では比較的温暖であると言われていますが、真冬には-10℃以下になり、外出の際にはニット帽と手袋が欠かせません。4月中旬頃まではコートが必要な生活が続きます。それに反して、夏は30℃を超える日もあり、海が近いことから多くの観光客が訪れます。屋外にテーブルを出して食事ができる食堂も増え、皆が短い夏を楽しんでいます。
北京798芸術区にて (私の後姿です)
さてこちらでの生活ですが、全く中国語ができなかったので、先ずは近くの大学の留学生向け中国語クラスに通いました。2年ほど通いましたが、上級クラスになるにつれてなかなか授業にもついていけなくなったので、途中から週1回家庭教師をお願いして自宅でも勉強していました。大学でのクラスを取り終わった後は翻訳会社の翻訳者養成コースに通い、今では翻訳者として在宅で仕事をしています。
中国語の他にも、北京では単発で中国茶や北京家庭料理のクラスに通いました。家庭料理のクラスでは、レシピだけでなく基本の食材の扱い方や選び方も教わり、それまで使ったことがない野菜やスパイスで料理ができるようになったので、食卓が華やかになりました。今でもその時のレシピは宝物です。またフラメンコ教室にも通い、人生初のダンスにも挑戦!身体を動かすのも楽しかったのですが、クラスの後にみんなでお茶をしながら、おしゃべりするのがいい息抜きになりました。このフラメンコ教室でのクラスメートは、今でも連絡を取り合う大切な友人です。大連にはフラメンコ教室がないので、引っ越しと共に止めてしまいましたが、またいつか再開したいと思っています。
大連中山広場にある戦前からの建物
また、お休みには“乗り鉄”の夫と寝台列車での旅を楽しんでいます。私は中国に来て初めて寝台列車に乗りましたが、飛行機のクルーレストよりもスペースが広く、思っていた以上にゆっくりと休むことができるので、こちらに来てからの楽しみの一つになりました。
電車の旅で訪れた山西省平遥の街並み
日本でも話題になっていますが、中国ではキャッシュレス化が進んでおり、どんなに小さい商店での買い物でもスマホで支払いが完了するので大変便利です。今では、私も外出時に財布を持つことはほとんどありません。情報流出やお金の流れを監視されている、という不安はありますが、一度この便利さに慣れてしまうと、一時帰国した時に戸惑うことがあります。逆カルチャーギャップかもしれませんね。
予想外に長期に渡っている中国生活ですが、驚きや発見を糧に毎日楽しんでいます。