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第11回 From London vol.32019/09/14

「チャコの期間限定ロンドン生活」

海外に住んでいたり、旅行で過ごしていたりするとそこで出会う人や場面からお国柄を垣間見ることがある。私の駐在国アメリカとイギリスは多民族の国家であるからより様々な人々や知らなかったこと、価値観に出会ってきた。

私が海外で生活して気が付いたことは、”適当”だと感じていたことは”割り切りがいい”と解釈するのが正しいのだと言うことだ。

学校行事などで一緒に何かの作業をしていると取り敢えずこれで良いということをよく聞く。最初はさっさと仕事を終わらせることを意味しているのかと思ったが、次第にその言葉の意味は目的を果たすためにという事がわかってくる。

過程にもこだわる日本人は完成度が高いが、完成に至るまで時間がかかる。

一度、日本人ファミリーだけで学校の通年イベントを仕切るよう任されたことがあるのだが、細部まで丁寧に詰めて工夫と丁寧さが素晴らしいと大成功を収めたものの、最終的には余りの疲労感、完全燃焼で誰も翌年もイベントの仕切りを快諾する気になれなかったことがあった。

割り切ることは完璧主義の日本人にはなかなか難しい。まずどこを割り切れば良いのかわからない。そこを悩むなら全部やってしまおうという気持ちもある。だが倣って割り切ってみると無理をせずに完了することで気持ちも体力も持続していけるし、次も続けられる。回を重ねる毎に慣れて質も上がっていく後付けの効果もある。何か仕上げるという目標に色々なやり方があるけど、これはこれで一つの方法としてとても効率的な気がした。

ここロンドンでも皆色々と割り切る。人々の余裕ある雰囲気が時間の流れを非常にゆったりと感じさせる。その中で10分でもあれば何かせねばというCA独特の性分がいまだに抜けず、忙しさに忙しさを重ね大変になってしまう私にこそ、割り切りが必要なのだと自覚している。


イギリスでこのゆったりとした時間を演出しているのは他にもある。世の中がどんどん便利に変化していっても変化することない事や物たちだ。生活の随所に見られ、長い歴史を人々に受け継がれながら過ごしてきたであろうものの中には、正直正しい使用方法がわからず困惑するものもある。(勿論どうしようもない状況で変えられないものもある。)

今なお良く見かけるダブルタップの洗面。ものによってはとても熱い湯が出てくる。
どうやってぬるま湯にして使うのかわからず使い方を調べたくらいだ。
貯水タンクの理由で仕方なく分かれてしまうらしい。
友人は寒くても水しか使わないと、ここも割り切る。


長い時代を生きている鍵であるが、意外と難しく、差し込む距離にコツがいる。
慣れるまで格闘である。そして鍵穴を覗けば扉の向こうが丸見えなのだ。(これで良いとされたもの?)


このようなものたちに出会うと、偉大な歴史を尊重するイギリス人の心に触れた気がする。

歴史を感じさせるものばかりではない。
この学校は時代を反映したユニバーサルトイレを採用。
男女に分かれていない。廊下から見るとこのように丸見えの造りになっている。


イギリスはご存知4つの国でなる連合国である。

共通公用語は英語だが、更にウエールズにはウエールズ語、スコットランドにはスコットランド・ゲール語、北アイルランドにはアイルランド語が公用語とされている。

このことからもそれぞれが自分達の土地のものを継承するという意識を持つことがとても身近であり、大切なことだと想像できる。

日本では同じ文化の人達が多いので思考の方向は似ていた。しかし私が生活してみたアメリカもイギリスもそれぞれの人が"違う"ことが当たり前の生活をしている。多文化社会にいると文化や歴史的背景、宗教などは生活習慣や思考に繋がっていて、それぞれの人が自国で受け継がれている生きる術、生きる知恵を大切に守り今を生きていると互いに違いがあることでより自分達の文化を感じる。互いに違いがあることを理解し尊重する。だから多民族国家として上手く成り立っているのだろうと感じる。

勿論アメリカ人とイギリス人も違う。

外国人といえば分かりやすいジェスチャーや挨拶のハグ、大きく笑うというイメージが共有されているが、それは私が思うアメリカのイメージだ。イギリスには当てはまらないように思える。振る舞いに落ち着きがありアメリカでよく見られた、おおっぴろげに自分の主張をしている人にも出会わない。

日本と同じく控えめが美徳とする文化があるのだ。

またイギリスに住んで感じるのだが、イギリス人も言いにくいことは言葉を濁す、言葉を婉曲的に表現するという相手を気遣う文化がある。非言語された部分を察することが求められるのだ。日本人の私だとあぁとなるが、そのような特質な気遣いは国際社会ではなかなか気付かれない。日本人と付き合いのあるイギリス人もこの点において日本人も似た感覚があるなと思うらしく、共通の文化や思考があると親近感が湧く。

気遣いの出来るイギリス人、さすがは紳士淑女の国。だがその品格、忖度文化はどこへ行ったのだと思う時がある。

それはイギリス流の皮肉なユーモア、ブラックジョークを聞くときである。

無礼のないユーモアはないとばかりに皮肉を込めたユーモアはじつにウィットに富んでいてとても面白い。最終的にその言い回しの巧さにいつも感心してしまうのである。

勿論皆が皆皮肉を込めたユーモアを言っているわけではないが、人を諭す時にも、謝罪する時にも、皮肉を込めて笑いにしてしまうイギリス人。

言葉の豊かさ、巧みな話術でこの国の人を惹きつけるユーモアというのはとてもハイレベルであり、イギリスにこんなお笑い文化があったのかと驚いたものである。

KAWAIIは日本の文化だが、イギリスではシックなデザインが好みのよう。

その国を訪れると知らなかったことに出会うが、日本を離れてみると気が付かなかった日本のことや日本人気質に気付くことがある。

日本人は真面目で信頼が持てる、礼儀正しく勤勉だというイメージだといわれている。

NOが言えない日本人、というのは気遣い思いやりに溢れていることの表れなのだ。

意見をもたない日本人、というのは協調するために相手との違いに合わせるという柔軟性があるということなのだ。そう思う。

日本製品などを見れば日本人気質がよく表れていて使う人のことを考えた工夫がされているし、頑丈で簡単に壊れてしまう心配もないし、日本製品の質の高さには信頼をおける。そんな日本製品が大好きだという人も多い。そして私も海外では日本人だと言うだけで、日本製品と同じようなイメージを持たれ信頼されるのである。

自分が気付かなかった日本の魅力を他国の人から聞く機会が多く、日本は素晴らしい国だと言ってくれる。日本人として誇らしく思い、他国で頑張る原動力にもなるのだ。

 

駐在生活は毎日が一期一会である。

インターネットでも十分に情報が得られる時代だが、生身の人間と信頼関係を築いて色々な話しを聞き知るほうがおおよそ確かなインターネットの情報よりも、ずっと有益なものを得られる。自分とは全く違う価値観、全く違う解釈の仕方に触れて戸惑ったり、そんな考え方もあるのかと感心したりしているうちに2,3年なんてあっと言う間に過ぎていた。

様々な国の人と繋がる時に世界は実に広く、そして意外と狭いなとも感じるのである。

 

20℃になると公園のアイスクリームトラックに行列をなすイギリス人に交じって並んでみる。

イギリスの食生活に倣い、ブランストンピクルやチャツネを揃えてパンに塗って食べてみる。

ランチタイムは1時としてみる。

混み合った電車を降りる時はexcuse meでなくsorryと言いながら降りる。

NiceやGreatの代わりにLovelyと言ってみる。

イギリスの生活スタイルを真似てみるとそこには歴史があったりする。そして生真面目に見えていたイギリス人がちょっぴりお茶目に見えるのは気のせいだろうか。

Do you fancy a drink? (イギリス人らしい言い方だ!と思った) イギリスの蜂はワインが好き。


この国の歴史はずっと続いている。この道のように。